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館内紹介

館内マップ

常設展示 

1F 隅谷展示室
 

 重要無形文化財日本刀保持者(人間国宝) 隅谷 正峯氏(すみたに まさみね)(1921〜1998)の業績を作品や製作の過程の復元ジオラマ・VTR等によって紹介しています。隅谷正峯は大正10年(1921)、現在の白山市(旧松任市辰巳町)に生まれ、昭和16年(1941)、立命館大学日本刀鍛錬研究所に入所し、桜井正幸の門人となり、日本刀の制作活動を始めました。その後、数多くの名刀工を輩出した鎌倉時代中期頃の日本刀五ケ伝のひとつである備前伝を生涯追い求め、その作風は絢爛豪華で、「隅谷丁字」(すみたにちょうじ)とよばれ、現在でも称賛され続けています。

 

 


鍛錬
 

 

 日本刀制作上の最大の特徴は、折り返しての鍛錬です。溶けない状態で相互に接着させ、これにより強い鋼として鍛えられます。


土置き
   刀身に濡れた土を置いて焼き入れを行うと、焼きにむらが生じ、それが日本刀独特のきれいな刃紋が生み出されます。


太刀
   昭和60年制作   刀長95cm

1F壁画展示室

 法隆寺金堂の壁画は、昭和24年に焼失しましたが、それ以前の昭和10年に、赤外線写真にて撮影された原寸大の写真12面が展示されています。

 

第1~12号壁について


 

2F常設展示室

 

松任沖海底林の樹幹
 

 松任の海岸から沖合1.8km、水深20mの海底で立木の状態で発見されました。調査の結果、八千年前の縄文時代のものであることがわかり、そのころには、少なくとも今の沖合2km辺りは、陸上であったことが判明しました。


考古展示室
 

 発掘調査が進むにつれ、東大寺領横江荘々家をはじめとした白山市の歴史が次々と解明されています。

 古代から中世までを、稲作を中心に展示するとともに、その時代に生きた人々の生活や信仰をも紹介します。松任城は、平安時代に一大勢力を占めていた林氏の傍流、松任十郎範光の館として成立したといわれています。1488年の加賀一向一揆により本誓寺宗誓の女婿鏑木右衛門入道常専が松任城主となります。1583年には前田利家の嫡男利長が城主となり、その後丹羽長重も入城しています。江戸時代には一国一城令により廃城となりました。


一塚四隅突出型墳丘墓出土土器
   山陰から北陸でしかみられない、真上から見るとヒトデのような形をした、弥生時代のお墓から出土した土器です。土器の形も、山陰のものとよく似ており日本海を介した文化圏が形成されていたことがわかります。

旭小学校遺跡出土の古墳時代石製品
 大型古墳の副葬品として使用されていた鍬形石が住居跡から出土しました。当時の加賀地域は鍬形石や、石釧といった大型古墳に副葬される特殊な石製品の日本最大の生産地でした。

東大寺領横江荘遺跡荘家跡復元展示

 

国史跡 東大寺領横江荘遺跡の特殊な出土品

 焼き物で造られた塔である瓦塔や、細かい透かし彫りのある香炉(緑釉陶器)、中国から渡って来た青磁、寺と書かれた土器などがあり、平安時代の荘園の管理事務所や、倉庫群の横に寺院があったと考えられています。


物忌札

 薄い板に「急〃如律令 九〃八十一」という陰陽師の使うおまじないの言葉が書かれており、お祓いのために使用されたものと考えられています。

 鎌倉時代の宮永ほじ川遺跡の井戸の底から出土しました。


松任城跡遺跡出土品
 加賀一向一揆の時代の天目茶碗や、中国からの輸入青磁、白磁、鎧の小札、小柄等の武具、炭化米が出土していることから、一揆方の戦闘拠点であったと考えられています。

近世展示
松任町文書『加賀松任町惣中言上書(ごんじょうがき)』複製

謹んで書状を拝見しました。すなわち兵部が購入した馬について仰られている件です。馬は越中へ売却しましたが、ご意向もありますので、馬を引き返し、お渡しすることにします。伊兵衛が参り次第、お渡しする所存です。松任の中にも処理できる者がおりますので、どのようであれ、お言葉次第です。詳しくは藤岡宗誉が申し上げる事でしょう。謹んで申し上げます。以上

松任町 四月十五日 惣中

 

 

 

松任町の標記のある最古の古文書。

松任町惣中が秀吉の直轄地を管理していた安威氏に宛てた文書

天正14年か15年のもの


油絞りの様子
 松任における江戸時代の灯り用菜種油の生産高は、加賀藩最大で、小松の八倍を誇りました。これは、水車の動力をいち早く製油に導入したためです。多い時で20台の水車があったようです。
油絞り、油売りの道具

郷土の先達展示室
(近世)藩政時代、加賀藩の有力な在郷町として栄えた松任町、その町並みを絵図として再現するほか、加賀藩を支えた農村の姿を、十村・肝煎などの村の支配機構や年貢について紹介します。また江戸時代から現代までを流通と経済を中心に、現在の松任のあゆみを展示しています。
(郷土の先達)松任の先達のうち、加賀の千代女(1703~1775)、松本白華(1838~1926)、暁烏 敏(1877~1954)の3名を紹介しています。

鉄道のまち
 松任駅北側の広大な敷地に、北陸唯一の鉄道車両の修繕工場である松任工場があります。昭和10年に松任町が積極的に誘致し、町の一大産業となっています。今では、新幹線の車両基地も白山市に開業しており、鉄道の町白山として全国に誇ることができます。

扇状地の農業

 明治35年に松任に移転してきた石川県立松任農学校の校門です。明治30年代には、農業の近代化を目指し、県内はもちろん、富山、福井からも優秀な人材が集まり、その名は全国に知られていました。

手取扇状地における春の農作業 ジオラマ
昭和初期 馬による荒起こし、苗代、田植えの様子
霊峰白山から清き水が流れ出る手取川扇状地では、三月の声が聞かれる頃から一斉に田圃の仕事が、始まります。

虫送り
 稲に付く害虫に農民はいつも悩まされていました。それらを駆除する目的で、農村地帯では、松明をかざし、太鼓を打ち鳴らして田園を行列していました。
 横江では今でもその風習が残っており、「横江の虫送り」として、市指定の無形民俗文化財となっています。

稲籾の脱穀作業場 ニワ

 土臼、玄米ともみ殻を風の力で分ける唐箕、玄米から割れた米を取り除く千石通し等が展示されている。

 かつては、玄関相当部分の赤土で踏み固められた土間をニワと呼び、冬は縄ないや米俵編みの藁仕事に、年末には餅つきにも使用されていた。


室(むろ)の模型
 かつては、各農家で自家製の味噌が造られており、その材料となる麹は、麹造りに適した専用の室(むろ)と呼ばれる地下室で造られ、販売されていました。

民間信仰展示室
   獅子舞や秋の報恩講など、地方独特の祭りや信仰などについても紹介しています。 

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