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館内紹介

 

館内マップ

       

 


 

常設表示

 

玄関ホール 美川人の技

 

 平成14年の開館当時、石川ルーツ交流館では、玄関ロビーの天井に美川の伝統工芸である美川仏壇の技法を地元の小学生が美川仏壇組合の方から教えてもらい3本(美川・蝶屋・湊小学校)の柱と地元中学生と刺繍教室の皆さんとが作成した美川ししゅうとのオブジェが吊り下がり、訪れた人を迎えてくれていました。ご覧いただいた方から、せっかくの作品が見づらいとの声をいただいておりましたが、より見やすいように二本が石川のルーツ館前に設置されました。

 

美川仏壇について(PDF)

美川刺繍について(PDF)


「ふくさげ祭り」のお飾り
 

   今回の改修により、天井を彩っているのは美川商工会女性部の方が作られた「ふくさげ祭り」のお

飾りです。手取川を遡上するサケ、糠漬けで有名なフグ、おかえり祭りで活躍する男姿をモチーフにした「おかえり太郎」など細かいところまで、精巧に作られています。美川に春を告げる「ふくさげ祭り」の華やかな情景が感じられます。


展示室 1 手取川流域の成り立ち
   

   白山開山1300年の歴史は、噴火と洪水の歴史でもありました。

   有史以来、氾濫を繰り返した手取川の治水の歴史や川の構造、昭和 9年の洪水の様子を紹介しています。

   リアルタイムで白山の頂上や手取川中流、美川の河口や海岸風景等の河川情報も提供しています。

   また、手取川から扇状地の成り立ちなどを紹介しています。


展示室 2 手取川流域の豊かな生きものたち
   手取川に生息する鳥、魚等をエリアごとに紹介し、毎年秋に遡上する鮭の剥製も展示してあります。

展示室 3 手取川流域の大地をつくる石そして恵み

 

 

 

 

 

 「手取川流域のおはなし絵巻」を紹介していた展示室3ですが、リニューアルにあわせ

「白山手取川ジオパーク」のテーマである「石の旅」を紹介する展示室となりました。

 手取川流域の大地を構成する岩石を、人々になじみ深い「玉石」をはじめとする

河原の石で展示し、手で触れられるようにしています。

 ジオラマで、手取川での「玉石ひろい」の様子を、懐かしい方言で紹介しています。

 また、県内の広い範囲に供給される手取川の水についても紹介します。


展示室 4 北前船のロマン

 藩政期中頃から明治中頃にかけて、日本海側の北海道から九州、さらに瀬戸内から大阪にかけてを駆け回った北前船。

 積み荷を売買し、その土地の特産品を積み込み、船主の荷物にとどまらず、乗組員も自らの荷物を売り買いし、一航海千両といわれた北前船の様子を、本吉湊(美川地域)に的を絞って、所縁の品にこだわり、商いの様子などを展示し紹介してあります。

 展示室中央に北前船の10分の1の模型を配置し、積み込みや船の仕組みをあらゆる角度から細かく見れるように設置してあります。

 美川での積み荷を一覧表にしてあります。

 大きな儲けを生み出す商売なれども、船の構造上、風雨には弱く、遭難の憂き目にあえば、荷物や船の損害ばかりでなく、乗組員の家族の補償など、一気に没落するという弱点もありました。

 これらのことから、板子一枚、下は地獄と言われ、船主はじめ乗組員や家族に至るまで、神仏を崇め、航海の安全を祈願しました。

 展示パネルには、美川の船が遭難した船を曳航する珍しい絵馬の複製品もあります。

北前船について(PDF)


閲覧コーナー
 

 リニューアルする前に展示室3で紹介していた流域に伝わる昔話が掲載されている「手取川流域のおはなし絵巻」や「本吉港の歴史」など美川町に関する本や海や川の生き物の図鑑などを閲覧することができます。

 美川出身の大正時代の作家「島田清次郎」や詩人「村井武生」の主な著作もそろえております。

島田清次郎・村井武生概略(PDF)


アトリウム

  さまざまな展示会やイベントなどが行われる多目的スペースです。 これまで、シアターでご覧いただいていた

 白山手取川ジオパークを紹介するDVD「めぐるめぐる水の旅」をご覧いただけます。

  催し物では、4月に篠笛コンサート、7月には民謡「山中節を楽しむ会」が催され、秋には「ヨシ笛コンサート」

 が定期的に行われています。

  また、ここでは利用者の皆様が、自分たちのグループの会議や催し物などにも利用が出来ます。(使用料が必要です)

 事前に係員に利用日程等をご相談ください。


石川のルーツ館
 

 明治5年(1872)に美川で開庁した石川県庁。

 この時に美川が石川郡にあることから、郡名から石川県と命名された史実を紹介しています。

 石川県庁の知事室を再現し、薩摩(鹿児島県)出身で、職務遂行に加賀藩武士と軋轢があり、気苦労の多かった初代知事「内田政風」が映像により、当時を振り返ります。

 内田は美川の宿舎で夜なべ仕事をしていて、次のような句を残しています。

 夜もすがら 寄せては返す 波音に 砕けるものは 心なりけり この和歌一つを取ってみても、維新間もなく忙しい中、思うように進捗しなかった情景が浮かんできます。

 県の区域は、たびたび変更され、能登地区も組み込まれたため、美川は県の中央という名目がなくなり、県庁はわずか1年足らずで、金沢に戻っていきます。 美川ものしりクイズもありますので、ぜひ挑戦してみてください。


おかえり祭りコーナー

 

 北前船による財力が生み出した「美川のおかえり祭り」、ここでは毎年5月に行われる藤塚神社の「おかえり祭り」を紹介しています。

 豪華な13台の台車(だいぐるま)や所縁の品々を、音と映像で情緒豊かに案内します。

 おかえり祭りは、古くは「美川のお旅祭り」とか「美川の春祭り」と言われていましたが、昭和の中頃から「おかえり祭り」という呼び方が、定着してきました。

 台車に先導され神輿が巡行しますが、昭和の初めから神輿の動座には進軍ラッパが合図として使われ始め、今では祭りの特長の筆頭として、報道機関等で紹介されています。

 VTRでは、ラッパのメロディーも紹介しています。

おかえり祭りについて(PDF)


名誉町民顕彰室と島田清次郎

名地町民 奥田敬和氏

 

 昭和2年の美川町に生まれ、美川の名誉町民だった奥田敬和氏(政治家)の生涯を、遺品や肉声で紹介します。衆議院議員で、郵政大臣、自治大臣、国家公安委員長、運輸大臣、衆議院予算委員会委員長等を歴任し、初めての選挙の時、選挙区の金沢でない美川の駅前で、第一声を放つという愛町心にあるれ、小さな体ながら気は短く、瞬間湯沸かしと異名を取りました。

 晩年は家族に「財を残さなかった政治家を誇りにしてほしい。葬儀は質素に行い、供物等は辞退し、墓は両親の眠る美川で」と遺言し、眠るように無くなりました。

 今、このような政治家がいるでしょうか。類いまれな政治家だった奥田氏を詳しく紹介しています。

島田 清次郎

 

 リニューアルにあわせ、明治32年に美川町で生まれ、大正時代にベストセラー作家として活躍した島田清次郎のコーナーが、名誉町民顕彰室にできました。

 島田清次郎の略歴や出版された書籍などを紹介しています。


和室

30畳の大広間で、会議等に有料で使用できます。

 民謡や囲碁の教室、将棋や俳句大会等も定期的に行われています。



石川県庁跡
 

 明治5年(1872)に美川で開庁した石川県庁を、昭和37年11月に、県政90周年を記念して建てられた石碑が、石川ルーツ交流館の導入路右側に設置されています。

 揮毫は当時石川県知事だった田谷充実氏(辰口町出身)で、美川町長だった島野繁信氏が設置しました。


 

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