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熊田源太郎について

 創設者源太郎氏(幼名「源一郎」)は、明治19年(1886)に生まれ、同36年17歳のとき、父の他界により家業を継ぎました。
 文化人らしい温雅な気質を持ち、倉庫業・運送業・銀行業・鉱山業・北海道における農場経営など、実業界で活躍しました。
 また大地主として小作農民と融和し、稲作の改良に務め、さらに青少年育英のために資金を援助するなど、当時としては進歩的な考えの持ち主でした。
 源太郎氏は、大正12年より昭和2年までの4年間、旧湊村村長を勤め、さらに昭和9年の手取川大洪水の時、請われて再度村長に就き、復興事業に奔走し、翌10年(1935)1月数々の業績を残し、48歳の若さで生涯を閉じました。

 

 本館設立について熊田源太郎氏は、大正10年発行「呉竹文庫図書目録」の中で、「知識欲をいかにしても制することができないので、徒に諸書を購求して乱読し僅かに慰めておりました。これが私の蔵書の起因であります。しかし事業経営に読書の時間が減殺され、有用の書籍も場所塞ぎの無用物と何ら撰ぶところがないので友人に話して閲読を勧めました。」と述べています。
 大正4年から蔵書を一般公開し私立図書館の形態を整え、同11年2月に「財団法人呉竹文庫」が設立されました。以来、広く文化活動の拠点としての役割を果たしていましたが、昭和10年に氏が亡くなってからは、休眠状態が続いていました。平成2年、嗣子卓郎氏の篤志をもって、再興を図るべく美川町(当時)が運営主体となり、図書・美術品の保存展示、各種文化活動の場として再出発しました。

 

 熊田氏が、明治中期から昭和初期にかけて集めた書籍は、約1万4千冊あります。内容は、叢書・辞書、宗教・哲学・教育、法律・政治、産業、理学・工学、医学、美術・諸芸・武技、文学・語学、歴史・地誌と多岐にわたっています。
 多くを全集で揃え、初版本が多いことも特長のひとつです。現在、貸し出しは行っておりません。

 

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