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周辺の見どころ

石川ルーツ交流館
   

 住所  白山市美川南町ヌ138番地1
 電話番号  076-278-7111
休館日 月曜日、年末年始
概略 明治初期の石川県庁、手取川、北前船、おかえり祭り等を紹介

上杉織田の戦い遠望の地 石碑
 

  呉竹文庫駐車場にあり、上杉に逢うては織田も名取川 はねる謙信 逃ぐるどぶ長(詠み人知らず)

 天正3年(1575)9月の古戦跡が遠望できることから、これを目当てに訪れる人も多く、隠れた名所となっています。

 戦国時代の雄、織田信長と上杉謙信がただ一度の戦いをこの付近で展開した。無敗を誇った信長も、上杉謙信には加賀の地で一敗血にまみれ、退却を余儀なくされ北加賀進出は阻止されたと言われています。しかし、歴史上は信長の生涯に与えた影響は少なかったとみる史学者もいます。

 上記の歌は、山岡壮八の小説にも登場し、高台のこの場所から遠くに見渡せるため、新潟県の郷土史家の著作から引用し、美川ライオンズクラブが石碑を立てたものです。


呉竹水荘
 

  呉竹文庫正面下の一角にあり、霊峰白山の伏流水が湧き出ており、常時利用することが出来ます。

 伏流水は一説には、200年前に降った雨や雪解け水が浸み込み、頂上からの水圧で、下流のこの地に自然と湧き出てくると言われており、天然の恵みの恩恵にあやかろうと、近隣からポリタンクを持参し、持ち帰る人も後を絶たない名水です。


凡兆句碑
 

 呉竹文庫に来る途中の、美川大橋のたもとにひっそりと佇んでいます。

 長々と 川一筋や 雪野原 と刻まれており、詠んだのは芭蕉の門人「凡兆」の代表作の一つです。

 凡兆は、江戸前期から中期の俳人で加賀金沢の生まれです。生年は不明ですが、正徳4年(1714)に亡くなられ、姓は宮城、野沢、越野等諸説があります。芭蕉の門人で京で医を業としていました。

 見渡す限り一面の雪の原を、そこだけ黒い一筋の川が、緩やかに蛇行しつつ、長く続いているという、情景を明確に描き出した叙情句で、極度に単純化された構図が、空間の広がりと奥行を感じさせる名句です。美川のこの地で読まれたのかは、明確な記録が残っていません。


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