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白山ミュージアムポータルサイト

ふるさとデジタル紙芝居

「白山麓(はくさんろく) 佐羅宮(さらぐう)早松社の神輿振(みこしふ)り」

    • 登場人物

      白山権現中宮惣長吏(はくさんごんげんちゅうぐうそうちょうり)(長)=学僧(がくそう)の長/ 智積(ちしゃく)
      中宮智積坊(ちゅうぐうちしゃくぼう)奉公人=僧兵(そうへい)/ 覚弁(かくべん)・金剛丸(こんごうまる)(架空人物・幼馴染)
      加賀国司(こくし)/ 藤原師高(ふじわらのもろたか)(師経の兄)
      国司目代(こくしもくだい)(国司代理)/ 藤原師経(ふじわらのもろつね)(師高の弟)
      加賀国府在庁三人の役人
      後白河法皇(ごしらかわほうおう)(前天皇(ぜんてんのう))

      参考/平家物語絵巻(へいけものがたりえまき)
      *旧暦(きゅうれき)で表示しています。月は凡(およ)そ一カ月進めてください(例えば、2月は3月に)

    • この物語は、平安時代(へいあんじだい)が終わる頃、加賀国(かがのくに)に起こったお話です。

      天皇(てんのう)を中心とする朝廷(ちょうてい)の支配体制が崩(くず)れ、朝廷と寺社(じしゃ)、武士のみっつの勢力によって国は支配されるようになっていました。加賀国でも白山権現(はくさんごんげん)の寺社である白山本宮四社、中宮三社が勢力を伸ばそうと中央の寺社である比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)の支配下に入ります。

      白山麓(ろく)にある中宮三社とは中宮(ちゅうぐう)、別宮(べっくう)、佐羅宮(さらぐう)からなります。能美(のみ)、江沼郡(えぬまぐん)の平野部にある国府領を次々と三社の領地とすることで国の税を逃れ、勢力を拡大していました。

      安元(あんげん)元年(1175)藤原師高(ふじわらのもろたか)が加賀国司(こくし)に任命され、翌二年、弟の師経(もろつね)が目代(もくだい)として兄に代わり加賀国府へやってきます。目代は寺社の領地を本来の朝廷の領地に戻そうとします。それに反対する中宮三社は加賀国から目代を追いだします。さらに、中宮三社は加賀国司の処罰を求め、安元三年(1177)佐羅宮早松社の神輿(みこし)を担ぎだし、京都の朝廷の御所(ごしょ)へ神輿振(みこしふ)りして威嚇(いかく)し、朝廷へ訴え出ます。古くから日本人に語り継(つ)がれる「平家物語(へいけものがたり)」において、白山権現と中宮三社が日本の歴史に華々(はなばな)しく登場する事件となったのです。

  • 加賀白山宮の勢力と国府
    • 安元(あんげん)元年(1175)秋の頃のことです。加賀国の平野にある村から、年貢(ねんぐ)を積んだ舟が能美(のみ)郡を流れる梯川(かけはしがわ)を綱にひかれ軽海郷(かるみごう)を進んでいます。

    • 金剛丸(こんごうまる)
      「今日の年貢は涌泉寺(ゆうせんじ)の倉まで運ぶがや」
      覚弁(かくべん)
      「中宮さまのお供え物やないがんか」
      金剛丸
      「中宮さまから比叡山(ひえいざん)へ差し上げる年貢や」
    • あどけなさが残る金剛丸と覚弁の二人の僧兵(そうへい)は、六尺(約180㎝)の杖(つえ)を持ち、舟の後に従っていました。

      二人は幼馴染(おさななじみ)、里(さと)の村長(むらおさ)から「三男坊のお前たちは十二歳にもなった。白山(はくさん)権現(ごんげん)を祀(まつ)る中宮の智積坊(ちしゃくぼう)さまに御奉公(ごほうこう)するのじゃ。しっかり御奉公すれば飯もたらふく喰(く)えよう。読み書きも教えてもらえよう」と言い聞かされ、村を送り出されました。

      それから三年経(た)って、少しは読み書きも覚(おぼ)え一人前の僧兵になっていました。この頃は、神さまも仏さまも一体としてあがめられ、白山の神さまの姿は貴(とうと)く恐ろしいが、本当は優しい仏さまが仮(かり)の姿になって神となって現れているので白山権現(はくさんごんげん)と呼ばれていました。

  • 加賀国司(かがこくし)目代藤原師経(もくだいふじわらのもろつね)、加賀国府着任
    • 安元二年(1176)夏、若葉の頃、京都にいる新しい加賀国司(こくし)に代わって、その弟が目代(もくだい)として加賀国府へ着任してきました。

      国府は能美郡の山際(やまぎわ)にありました。八町(はっちょう)(約880m)四方(しほう)の高い土塁(どるい)に囲まれ、内側(うちがわ)にはいくつかの主要(しゅよう)な役所(やくしょ)が設(もう)けられています。田舎(いなか)の人には、朝廷(ちょうてい)の権威(けんい)を知ることができる目を見張(みは)る立派な建物でした。

    • 目代藤原師経
      「われが加賀国司(かがこくし)藤原師高(ふじわらのもろたか)の目代、藤原師経(ふじわらのもろつね)である。今日より加賀国は、われが治めるものと心得(こころえ)よ」」
    • 目代の師経は、主だった役人・官兵を前に宣言します。

      後白河法皇(ごしらかわほうおう)の意向を受けて、朝廷の領地を侵略する豪族・寺社(じしゃ)の動きを抑(おさ)え、厳しく税を取り立て国の財政(ざいせい)を立て直すため朝廷(ちょうてい)より送り込まれたのです。

    • 師経
      「朝廷におかれては、横行(おうこう)する不正な税逃れは決して許さぬ。さっそくだが、加賀の国府の領地、寺社の領地が描(えが)かれている絵図(えず)を見せてくれい」
    • 能美郡では白山麓(はくさんろく)にある中宮三社が平野部に領地を広げ、中宮八院といわれる小寺が建てられています。眺(なが)めて見れば、国府の周囲はすっかり寺社の領地に囲まれていたのです。

    • 師経
      「この涌泉寺(ゆうせんじ)という小寺に、温泉と書き記(しる)してあるが、国府へ税を納めておるのか」
    • トントンと絵図を指さし、役人に尋ねます。

  • 涌泉寺の様子
    • 軽海郷(かるみごう)にある涌泉寺は、珍しく温泉が湧(わ)きだし湯治(とうじ)ができるようになっていました。農繁期(のうはんき)が終わると、病(やまい)をいやし、日頃の疲れをとるため多くの人が集まってきます。湯治にやって来る人々から、入浴の料金を取るのも涌泉寺の貴重な収入になっていました。湯の番をする僧兵もいます。

      臨時(りんじ)の小さな市(いち)も開かれて、寺の周辺は人々が行(ゆ)き交(か)い大変賑(にぎ)わっていました。

    • 金剛丸
      「働いたあと、湯で汗を流し湯船にこうして浸(つ)かっていると手足の疲(つか)れが取れるわい」
      覚弁
      「ふう~、極楽(ごくらく)やのう」
    • 涌泉寺の温泉に下帯姿(ふんどしすがた)の金剛丸と覚弁の姿もありました。

      二人は、涌泉寺の雑用をするため智積坊(ちしゃくぼう)から派遣(はけん)されてきた若者たちでした。

      倉庫には、籾(もみ)の付いた米、あわやひえ、まめなどが山積(やまづ)みされ、大勢の僧兵が、比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)へ納める年貢二千石を舟で積みだす準備をしていました。大切な比叡山への年貢の積みだしのため、中宮三社の多くの小寺から僧兵が集まって働いていたのです。

  • 役人、税を集めるため涌泉寺に入る
    • 役人
      「国司(こくし)さまからの命令である。国府へ租税(そぜい)を納めよ」
    • とつぜん、武装(ぶそう)した官兵を引き連れ、国府の役人が涌泉寺境内に馬で乗り入れてきたのです。

      安元二年(1176)七月一日、夏越(なごし)の祓(はらえ)の神事を終えた翌日、暑い盛りです。馬も人も汗だくだくです。

    • 役人
      「この土地は国の領地である。涌泉寺には、境内を貸し与えてあるだけじゃ。承知しておくが良い」
    • 国府の役人は、開口一番(かいこういちばん)、高らかに宣言します。

      年貢積みだしの作業を終え僧兵は、作業でかいた汗を流し、温泉に浸(つ)かっているところでした。役人に追いだされ、わらわらと湯を出て裸(はだか)の姿(すがた)をさらします。

    • 役人
      「悪僧(あくそう)ども、朝廷からの使いに対し、裸で迎えるとは無礼(ぶれい)であろう」
    • 湯に浸(つ)かっていた僧兵を追い払うと、役人はそのまま温泉に入り、汗(あせ)と埃(ほこり)にまみれた馬を洗い始めます。

  • 白山権現中宮僧兵の抵抗
    • 僧兵
      「何ということをなされる。おそれ多くも白山権現の境内(けいだい)、神仏(かみほとけ)の領地とご承知(しょうち)か。目代殿といえども白山権現を恐れぬか」
    • 裸の僧兵は素手(すで)で、役人の乱暴を止めに入ります。

    • 僧兵
      「代々(だいだい)の目代(もくだい)様は、おそれ多い白山権現の領地であるとされて、神仏(かみほとけ)に敬意を払い、役人が涌泉寺の境内に入るのをご遠慮なさって来られた」
    • 反論する僧にたいして、役人は手にした鞭(むち)を振るい、言葉を荒(あら)げます。

    • 役人
      「ええい、悪僧どもけしからぬ、口答えするのか。この土地は国の領地じゃ。朝廷の御意向(ごいこう)に従って国司さまの思いのままにできるのは当然(とうぜん)であろう。年貢をわれらに納めよ。新しい目代様は厳しくご命令になっておられる。白山権現を語(かた)らい朝廷(ちょうてい)の御意向(ごいこう)に逆らう者は、かんべんはせぬ」
    • 有無(うむ)を言わさぬと役人と官兵は、ドッと涌泉寺境内に雪崩(なだれ)れ込みます。それを止めようとする裸の僧兵も混じって、白山権現の僧兵と国府の官兵は殴(なぐ)り合いを始めます。誰も止められません。双方、次第に太刀(たち)を振(ふ)るっての大乱闘(だいらんとう)になりました。

  • 官兵、年貢指し押さえ、涌泉寺を焼き払う
    • さあ、大変です。殴り合いの大乱闘の最中、白山権現の僧兵は目代が大切にしていた馬の尻尾(しっぽ)を切り落としてしまいます。涌泉寺での混乱と棒や太刀まで振り回し、抵抗する僧兵のふるまいの報告を受けた目代は激怒します。そのうえ目代が大切にしていた馬の足の骨を折ってしまいましたから、もうイケマセン、目代は軍勢を出陣させ、涌泉寺を攻撃するよう命じます。

    • 目代師経
      「許せぬ、兵を集めよ。われが大将となって涌泉寺を攻める。朝廷の御意思(ごいし)に盾突(たてつ)く悪僧(あくそう)どもを懲(こ)らしめるのじゃ」
    • 国府の官兵、役人の集めた軍勢は数百を越えました。目代は鎧(よろい)を身に付け、弓矢を持ち長刀(なぎなた)を持った軍勢を率いて涌泉寺目指して押し寄せました。

      寺には、今まさに比叡山延暦寺に納めるための、沢山のあわやひえ、まめや米が積まれた大きな米倉があります。

    • 師経
      「米倉に積まれた年貢米は、国府が税として差し押さえよ。抵抗する悪僧(あくそう)は切り捨てて構わぬ」
    • むろん、覚弁と金剛丸も日頃鍛(きた)えた武芸(ぶげい)の訓練(くんれん)通り、飛礫(つぶて)を投げ合戦(かっせん)に参加します。

      官兵は激しく抵抗する僧兵を蹴散(けち)らして、年貢米を奪ってしまいます。

    • 師経
      「この小寺は悪僧の棲(す)みかじゃ、見せしめに焼き払ってしまえ」
    • あろうことか涌泉寺の建物に火をつけ焼き払ってしまいました。

  • 白山僧兵、反撃決意
    • 涌泉寺を守っていた僧兵から、官兵に焼き討ちされ年貢を奪われたと、報(しら)せを受けた中宮三社の長、惣(そう)長吏(ちょうり)智積(ちしゃく)は激怒します。

    • 惣長吏智積(そうちょうりちしゃく)
      「白山権現の土地を穢(けが)し、神仏(かみほとけ)をおそれぬ乱暴じゃ。涌泉寺を焼き払うなどもってのほか、神罰(しんばつ)、仏罰(ぶつばつ)が落ちようぞ」
    • 直(ただ)ちに中宮三社にも報(しら)せが走り、急ぎ、別宮(べっくう)において白山権現の神の意思を確かめる会議を行うことになりました。

      白山権現にとって大切なことがらは、神と一緒になって僧兵の会議が開かれます。そこでは神の意思を聞き、僧兵の行動を決めていました。僧兵は神の子となり、破れ袈裟(けさ)で顔を覆(おお)い誰が誰だかわかりません。神が僧兵の言葉を借りて発言します。神聖で恐(おそ)ろしい天の決定だったのです。

    • 僧兵大将
      「国府の役人が白山権現の境内を穢(けが)した行いは許(ゆる)し難(がた)し。聖なる比叡山へ納める年貢を奪い去るなど言語道断(ごんごどうだん)である」
    • 覆面(ふくめん)の僧兵大将は語り始めます。神の会議の議題です。

    • 僧兵
      「許(ゆる)し難(がた)し…、言語道断(ごんごどうだん)」
    • と僧兵は口々に叫び、杖(つえ)や長刀(なぎなた)をドンドンと地面に打ちつけます。

    • 僧兵大将
      「直ちに神の領域(りょういき)を穢(けが)し、涌泉寺を焼き払った役人を神仏(かみほとけ)に代わり懲(こ)らしめる」
    • 破れ袈裟(けさ)で覆面(ふくめん)をして神の会議に参加していた大勢の僧兵は、一斉(いっせい)に声を合わせます。

    • 僧兵
      「モットモ、モットモ」
    • と見えない神に代わって大声で同意し、これによって神の意思が決まるのです。

  • 白山権現中宮僧兵反乱
    • 僧兵大将
      「白山権現の神威を見せてくれる。われに続け、神の御意思じゃ、屈辱(くつじょく)を晴らしてくれよう」
    • 白山中宮三社に仕えるそれぞれの坊から集まってきた破れ袈裟(けさ)で顔を覆(おお)った僧兵が、鳥越の三坂峠を越えて駆(か)け下り、能美郡にある国府へ向かって進軍を始めました。

      僧兵は、その多くが加賀の平野部にある白山権現の領地の村から集まってきます。長男は家を継ぎますが、次男や三男は白山権現へ奉公に出ていました。いざというときには、甲冑姿(かっちゅうすがた)で長刀(なぎなた)を持って合戦に出かけるのも仕事でした。石を投げる飛礫(つぶて)も弓矢と共に強力な武器です。

      中宮三社を挙げて出陣する僧兵の軍勢には、白山本宮四社の僧兵も次々と加わり千人を越す人数に膨(ふく)れ上がっていました。

      国府は、数百の軍勢で厳重に守られていました。すでに陽は傾き夕暮れが迫ってきます。合戦は明朝と決め、白山権現の僧兵は国府を囲み夜が明けるまで篝火(かがりび)を赤々と焚(た)き陣(じん)を張(は)ります。

  • 目代、都へ逃亡
    • 平安時代末期、国の政治は乱れ、国司も税を厳しく取り立てて、私腹(しふく)を肥(こ)やすことも珍しくありません。厳(きび)しい税の取り立てに耐えかねて、一村丸ごと逃げてゆくこともありました。力を付けた農民は、公家(くげ)や寺社に土地を寄進(きしん)し、年貢はその領主へ納め国の税を逃れるようになります。人々は税の軽い領主を求めて国の領地を離れてゆきました。

      厳しい税の取り立てに諸国での反乱は珍しくなく、時に国司や目代が殺害されることもありました。

      加賀国の目代師経は、国府の軍勢に倍する僧兵の大軍に囲まれるのを見て、

    • 目代師経
      「反乱(はんらん)じゃ」
    • と震(ふる)えあがりました。

    • 師経
      「このうえは、われは上京し、朝廷へ加賀国が反乱にいたったことを報(しら)せる。あとのことは、そなたら役人三人に任す。今宵(こよい)、闇(やみ)に紛(まぎ)れて国府の館(やかた)を脱(だっ)する」
    • 夜(よ)が更(ふ)けると目代ばかりか、国府の三役人と警備の官兵もわれさきに逃げてしまいます。国府の館の内部は、篝火(かがりび)だけが赤々とひとり燃え上っているばかりでした。

      朝焼(あさや)けに空が染(そ)まるころ、戦支度(いくさしたく)を終えた僧兵は、国府館の静けさを不審(ふしん)に思いました。僧兵が、恐(おそ)る恐(おそ)る館の門を破り中へ入ると、はたして人影などは見えません。もぬけの空でした。

    • 僧兵大将
      「逃げ足の速いやつ。こうとなれば、我らは本山である比叡山延暦(ひえいざんえんりゃく)寺(じ)へ願い出、加賀国司と目代の罪を朝廷へ訴えようぞ」
  • 国司・目代の処罰を訴え、佐羅宮(さらぐう)早松社の神輿(みこし)上京
    • 安元三年(1177)早春、雪解(ゆきど)けを待って、白山権現中宮で再び神仏(かみほとけ)の会議が開かれます。そこで中宮三社のひとつ佐羅宮早松社の神輿(みこし)を上京させることに僧兵一同同意するのです。

    • 僧兵大将
      「加賀国司藤原師高(ふじわらのもろたか)と目代師経(もろつね)の罪を問う」
    • 比叡山延暦寺へのぼり、訴えをすることに決まります。

    • 僧兵大将
      「白山権現の神聖な涌泉寺の温泉に馬を入れて汚し、寺を焼き払うの乱暴、そのうえ比叡山の年貢を強奪(ごうだつ)したこと許し難し」
    • 若き二人の僧兵、覚弁と金剛丸も神仏の会議に参加しています。

    • 覚弁・金剛丸
      「モットモ、モットモ」
    • 集まる大勢の僧兵に混じって、二人は破れ袈裟(けさ)の頭巾(ずきん)を通し、声を合わせます。そして杖を大地に打ちたたき、足を踏み鳴らします。

      さらに訴えの願いがかなわないときは、再び故郷に戻らないと神仏との約束事を記(しる)した書状を焼き、その灰を水に溶かして会議に参加している皆で呑み干します。この儀式をすることで僧兵は、一人ひとりが直接白山権現に「もし約束を破ることがあったら、どんなにおそろしい罰でも受けます」と誓いを立て、約束したことになるのです。

  • 佐羅宮早松社の神輿、御所へ乱入する
    • 安元三年(1177)二月五日、佐羅宮(さらぐう)早松社から担ぎだされた神輿(みこし)は、鵜川涌泉寺(うかわゆうせんじ)を発ちます。

      比叡山ではこの事態を穏(おだ)やかに解決するため、白山権現の神輿がこれ以上進むのをしばらく押しとどめようと僧兵三十人を敦賀湊(つるがみなと)へ送り込んできました。

      しかし中宮三社の僧兵の意志は固く、敦賀湊(つるがみなと)を秘(ひそ)かに抜け出して峠を越え舟で琵琶湖を渡り、二月末には何とか比叡山につくことができました。

      むろん、白山権現の僧兵のなかに金剛丸と覚弁の二人の姿がありました。

      三月末、ようやく朝廷の判断が下され、目代藤原師経が流罪にされます。しかし、国司藤原師高の罪は問われなかったため、四月十三日、比叡山の神輿と佐羅宮早松社の神輿が京都の町へ乱入します。中宮三社八院の僧兵の担ぐ神輿振(みこしふ)りは御所を威嚇(いかく)し、警備する源平の兵と合戦して国司の流罪を訴えたのでした。

    • 金剛丸
      「都の人達に白山権現さまの神威を見せるんや。覚弁、見てみい、源氏や平家の軍勢と堂々と合戦するやなんて、比叡山の僧兵はすごく強いんやな」
      覚弁
      「気を付けるんや。源氏と平家の兵が矢を射って来る。飛礫を投げたら神輿の後へ逃げるんや」
    • 御所の門の前には、弓を構(かま)えた源氏と平家の軍勢が陣を張って構えています。都(みやこ)の人達も怖いもの見たさで、遠巻(とおま)きに見ています。

    • 覚弁
      「都の人があんなに沢山見物しとるやないか。卑怯(ひきょう)なまねできん。白山権現の僧兵として恥(は)ずかしないように合戦するんや。わしらには白山権現がついておられるんや」
    • 若き二人の僧兵は懐にいくつも飛礫を持ち、朝廷からも恐れられた比叡山の僧兵に混じって神輿振りに夢中になって源平の軍勢と戦うのでした。

      何人かの僧兵が矢に当たって怪我(けが)をし、あろうことか神輿にまで矢を射られたのです。おどろいた僧兵は神輿を御所に捨ておいて、比叡山へもどってしまいました。おそれ多くも神を放りだしたのですから人々は神(かみ)が罰(ばち)をくだすのをおそれ、神輿に指一本触れることができず困(こま)り果(は)ててしまいます。

      この日の神輿振りは京都の人々に大いにおそれられ、朝廷に対する大きな圧力となりました。

  • ついに後白河法皇を動かす
    • 朝廷の命令に従わない比叡山の僧兵と気ままに流れる賀茂川は、後白河法皇といえどもただ嘆(なげ)かれるばかりです。

      神輿振りの騒動(そうどう)を起こされ、ついに後白河法皇は白山権現中宮三社の求めに応(こた)えることになり、加賀国の国司(こくし)藤原師高(ふじわらのもろたか)を流罪(るざい)にします。

    • 後白河法皇
      「そもそも、あの小寺のあった土地は国の領地である。確かに焼き払ったのは少し過ぎたることであった。しかし、目代のふるまいは間違ってはいない」
    • 法皇は納得がゆかずにいました。

    • 後白河法皇
      「この騒動の責任は比叡山である。このままにしておくわけにはゆかぬ」
    • 法皇は決断します。加賀国司流罪の判断をすると、すぐさま比叡山延暦寺の長を解任し、平家(へいけ)の軍勢に比叡山を攻めるよう命令します。

      しかし結末はうやむやとなってしまいます。

      こうして白山権現の僧兵が担いだ佐羅宮早松社の神輿振りは、加賀白山権現の僧兵の底知れぬ力を全国に示した誇り高い歴史の一コマとなりました。

      安元三年(1177)の夏、大火事が京都(きょうと)の町を焼き尽くし、冷夏が都を襲ったそうです。都(みやこ)の人達は、この災害(さいがい)異変(いへん)は「白山権現の神(かみ)の罰(ばち)が下ったのや、祟(たた)りや」とおそれおののいたそうです。

    • (2017年3月31日 にしで やすのぶ)

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